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8月こそは

5月の孫の誕生日には、夜にFAXでも…と思っていたのに直前になって忘れた。
母の日もやっぱりそう。

6月、たった2人しかいない姪の1人が誕生日だったのに、やっぱり忘れてしまった。

7月もやっぱりそう。
姪の誕生日も一番親しかったクラスメイトの誕生日も、過ぎてから思い出した。

一番がっくりきたのは、党創立記念日にケーキを買う暇が無かった、ということだ。
自分ではケーキを買って食べないと決めてからは、党創立記念日だけはケーキを買い、会議の場に持って行っていた。
84年になった党、街頭で訴えなくては…と思いつつ、会議いろいろと平和行進が重なり、家に帰り着くころは、とうに金の小槌が閉まっている時間だった。

記念日は、忘れたわけではないが、気になりつつ動けなかった。
忙しいばかりで何か欠けているのではないか、と反省することばかり。
8月こそは、孫のあさひちゃんに「おめでとう!」を言おう。
忘れずに、ね。

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「おかあさん、あと3ヶ月したら無料(医療費)やったとに!」という思いがあり、7月の最後に倒れたというのは覚えているが、それが30日か31日だったのか さだかではない。
今なら、手帖を常に持ち歩く生活だが、そのころは、こどもの着替えを持ってはいても、手帖を持つなど考えもしない生活だったので30か31か、はっきりしないのだ。
7月の最後だった、と記憶しているだけだ。

22年間といえば、人生の約4分の1だ。
この間、何かいいことがあっただろうか。

倒れて数年で認知症になった。
そのとたん、無口なヤエ子さんは、よくしゃべるようになった。
「あの人が私の財布を盗った」から始まり、順々に認知症のコースをすすんでいった。
動けない、と思っていたら、必死になれば、力をだすもので、どこから入ったものか、鹿児島本線の線路上から、近所の人におぶされて病院に帰ってきたこともあった。

夫(自分の息子)が組合や日本共産党の活動をしていることについて何も言わなかったヤエ子さんが、認知症になったとたん「寅彦が牢屋に入れられる!」と突然叫びだしたりした。
党への弾圧というか、宣伝というか、いかにひどかったか、というのが少しだけわかったヤエ子さんの発言だった。

看護師さんから「家族がこられれば落ち着かれますので、毎日来てください」と言われ、できるだけ行くようにした。
最近は、時々機嫌は悪くなるものの、徘徊する元気は無い。

認知症になると普段言えないことを口にする。
「寅彦が牢屋に…」もその一つだが、ときどきのニュースに反応してよくしゃべった。
竹林で大金が見つかれば、「寅彦が見つけた」と何度も言い、食費が医療費とは別にとられるようになると「お金を払ってない」と食事を前において心配するし、認知症じゃないっちゃないかいな、と思わせるほど医療費の値上げにはよく反応した。
私が誰かは全くわからないのに、夜中には「ひとみさーん」と大きな声を出すという。

こういうのを聞けば、何とか今の生活を人生の最後を少しでも人間らしく過ごさせてやりたい!と思う。
しかし、政府は容赦なく高齢者に、これでもか、これでもか、と攻撃を仕掛けてくる。

そして6年後にはヤエ子さんが入っている介護型療養病床も無くされてしまう。
今度はヤエ子さんは何と言うだろうか。
「ひとみさん、おるところがなくなるばい、がんばらね。」とでも言うだろうか。

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