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佐賀市の日本共産党市会議員の山下明子さんのブログから
プルサーマルの無謀さ、地球のことを知ってほしくて転記)


プルサーマルは破滅への道      2007/03/14 16:56

 昨日、保険医協会主催でプルサーマル問題の市民公開講演会が7時
 からアバンセでありまして、時間の許す範囲で参加しました。
 
 テーマは「プルサーマルは破滅への道~地球・人類の歴史とエネル
 ギー」
ということで、講師は京都大学原子炉実験所の小出裕章先生
 会場は立ち見が出そうなくらいで、150人くらいでしょうか、
 ぎっしりでした。

 専門家の難しい話かと思ったらさにあらず、地球誕生、人類誕生の
 歴史から解き明かし、そのなかでエネルギーがどのように使われて
 きたのか、いま依存できるエネルギーは何なのか、ということを前提
 としてたっぷり話していただきまして、その上に立って原子力エネル
 ギーに頼ることの危険性、とりわけプルトニウムの恐ろしい毒性、
 「プルサーマル計画」の無謀さ、ということを、これは専門家が
 子どもに話すようにわかりやすく離してくださいました。

 そのうえ、話し方そのものが情感豊かで、地球と人類を本当に大切に
 思いながらの話だなあ、と胸にしみるようなものがありました。

 話の中で印象的だったことをいくつかご紹介します。

▼地球は46億年前に誕生したと言われますが、地球の歴史を1年と
して1月1日から時をたどれば、人類が出現したのは、なんと12月
31日の午後4時ごろ!それから、エネルギーを本格的に使い始めた
のは産業革命以後の200年
くらいですが、これも、「地球の1年」に
なおすと、なんと12月31日午後11時59分59秒からの時点
しかならないそうです。
 
しかも、驚くなかれ、そのわずか200年の歴史の中で、人類誕生以来
数百万年かかって使ったエネルギーの6割を消費しているそうです。

▼地球上ではたくさんの生物種が誕生しては絶滅をしてきたわけです
が、1900年くらいまでは「絶滅種」は1万種」くらいで推移して
いたのが、とくに20世紀以降に激増し、2000年には50万種が
絶滅しているそうです。

▼ただし、人類が絶滅しても、地球自体がこわれるわけではない、と
いうのです。驚くべき話ですが、スリーマイル島の原発事故の7年後、
炉心の調査のために水底深く沈めた圧力容器のふたを開いたとたん、
うごめく物体によってたちまち水が「夏の腐った池」のようににごって
しまったそうです。

それは、単細胞の微生物から、バクテリア、菌類、わかめのような藻類
までが炉心の中に繁茂していたのだそうです

人間なら1分以内で死んでしまうような強烈な放射線が飛び交っている
場所に生物がいた、ということの驚きとともに、調査作業のために殺菌
剤のオキシドールを投入して作業しても、一度殺されたはずのそれらの
生物は驚異的な生命力で再三再四復活し、以後何ヶ月にもわたって作業
の妨害を続けたそうです。
なんと、空恐ろしい、SFの世界そのままではありませんか。

 ただ、小出先生は何が言いたかったかというと、人類が滅んでも、
地球の生物が絶滅するわけではない、人間はそういう意味では「霊長
類」などと思い上がった存在でなく、単なる「生物種」のひとつにすぎ
ないのだということ、そして、そんな「人類」がたかだかわずかな存在
期間の中で地球のエネルギーを大規模に消費していることの問題点、
なのです。

▼もうひとつは、「石油エネルギーはあと○年しかもたない。だから
次は原子力だ」と言う宣伝の大うそに、だまされてはいけない、と言う
話です。
 小出先生が原子力工学を志したのは、まさに「石油はもう限られて
いる」という宣伝に「のせられた」からだそうです。
 おもしろいグラフが示されました。

 1930年代、世界恐慌の頃、「石油はあと18年しかもたない」と
言われ、日本はエネルギー資源を求めて満州への侵攻を開始しました。


 1940年代、太平洋戦争開始の頃は「石油はあと24年」といわ
れ、1960年代以降、所得倍増計画の時代や東京オリンピックの時代
には「石油はあと35年」、さらに、1990年代にはいると「石油は
あと45年」、2000年以降の今や「石油はあと50年しか持たな
い」と言われているのです!


 おかしいじゃないか!1930年代に「あと18年しか持たない」
はずの石油が2007年の今「あと50年」とは!?つまり、石油は
今後開発される油田を考えればあと100年はもつ、とのこと。
 最近発掘が進んでいる天然ガスだけで1000年、石炭も究極の埋蔵
量は1000年の需要を満たす、といわれているそうです。

 いっぽうで、原子力の資源であるウランエネルギーは石油の数分の1、
石炭の50分の1しかない
ということで、全然安定していない、という
ことをまず押さえとかなくてはいけない、と言う話は、私としては
「へ~そうなのか!」でした。

▼さて、肝心のプルサーマルですが、まず、原子炉でウランを燃やす
ことの危険性についていうと、ヒロシマ型原爆でもえたウランは800
g、長崎原爆で燃えたプルトニウムは1050gだったのに比べ、
では標準となっている100万kWの原子力発電所が1年間で燃やす
ウランはなんと1000kg、広島や長崎に比べて1000倍のウラン
を燃やす
というわけ。

 1986年にチェルノブイリ原発の事故が起きたときは、炉心にヒロ
シマ原爆の800発分の死の灰を抱えていたそうです。それが事故で
飛散し、14万5000k㎡にわたって「放射線管理区域」に指定
しなくてはならないほどになったそうです。いまだにそんな汚染地区に
500万人以上が生活しているわけです。

▼「プルサーマルでリサイクル」なんて能天気なキャッチフレーズを
お腹に貼り付けて佐賀市営バスが走っているのを見ると、寒気がするの
ですが、ホントのところ、プルトニウムは100万分の1グラムを吸い
込んだだけで肺がんを誘発するという、人類がかつて遭遇した毒物の中
で最強の部類に属する物質だそうです。

 プルトニウムとウランの毒性を比較すると、年間摂取限度量でウラン
235(燃えるウラン)の場合、吸い込んだ時で年間2,1mg、ウラ
ン238(燃えないウラン)の場合、年間14mg、それに対してプル
トニウムは0.000052mgが限界
だというわけです。

 ところが、プルサーマルで資源エネルギーとして使うなら、数十万~
数百万トンに及ぶプルトニウムを社会の中に循環させることになるわけ
で、「それでホントにいいんですか」といいたくなります。

▼プルサーマルを一言で言うときに、「ウランとプルトニウムを混ぜた
混合燃料(MOX燃料)をウランを燃やすために設計された軽水炉で燃
やすのだ・・・・という説明をされますよね。で、何だかわからないけ
ど危ないんだろう・・・と言う感じで受け止めてきたのですが、今日の
小出先生のたとえは一発で通じました。

 つまり、石油ストーブを使うときは灯油しか使ってはいけません、
ガソリンは使ってはいけません。どちらも燃えるけど、燃える温度が
違うので危険ですからね・・・と言われているではありませんか。それ
と同じだそうです。

 灯油とガソリンを混ぜて石油ストーブをたこうとしているということ
なんですね
。お~こわい!!これで事故が起きないはずがないではあり
ませんか!!

 とまあ、ここで私に許された時間は終わりで、途中で退出しなくては
ならなかったのですが、それでも十分にプルサーマルの恐ろしさが
わかりました。

 すると、古川知事やプルサーマル推進の方たちは、どこまで「安全
神話」を信仰しているのか、とおそろしくなりますね。今度の知事選や
県議選は、そういう意味であらためて答えを出さなくてはならない機会
となりますね。

 参考までに、県議会では、プルサーマル推進決議に自民・公明が
賛成。民主は退席。

 2月の県民投票条例には、自民・公明・民主が反対、無所属、県民
ネット、リベラルは賛成でした。佐賀市選出の県議さんは、無所属1人
を除いて全員プルサーマル容認、または推進
ですから、ここはひとつ、
「きっぱり反対」の勢力を増やさなくては、ですね!
                 (明子さんのブログ終わり)


明子さんとは、何十年も前からの知り合いです。
最初は、北九州の選挙の時、アナウンサーとして知り合いました。
以後、あちこちで会うようになりました。
私が大好きな梅原司平さんのコンサートでも。



卒業式に参加しました

小学校は家の近くです。久しぶりに近所を歩きました。

ここでもやっぱり、最初から説明。
やっぱり、杖の事情を書いた名刺を作ろうかしら、と、思ったりも。



 「一同起立」で始まります。
 「国歌?斉唱」は、その直後です。
 以前は、そのたびに座り、歌が終わる直前に立っていました。
 静かに座り、立つ、というのは技術がいります。タイミングも。
 最近は、あきらめ、立ったままです。
 でも、歌いませんし、日の丸も見ません。
 これだけは、譲れないですね。

 いつから「君が代斉唱」が「国歌斉唱」になったのか、記憶が
 今まで、一度も歌ったことがありません。
 小学校の時は父が、高校の時は社会科の先生が、「あれは、天皇の
 時代が、永く続くように、という歌だよ。」と、教えてくれました。
 大昔、この歌を詠んだ人は、違う意味だった、という説もありますが
 ずっと、天皇=君、として歌われてきたことは事実です。
 一生、歌うことはないでしょう。立つことはあっても。

 校歌斉唱の時は、「校歌斉唱・一同起立!」ですから、思いっきり
 歌いました。
 母校じゃなくても、5人のこどもがお世話になれば、バッチリです。


校長先生やこどもたちの話から、仲間意識がものすごく芽生えたのを
感じました。この学年のすばらしさ、少しだけ知りました。

小学校の卒業式 ~ 地域の人の丹精こめた花が  小学校の玄関



それにしても思い出すのは中学校の卒業式です。
あの日は、特に寒く、10分か20分、開始が遅れました。
最後は、トイレの心配をしたほどです。

「毎年、10分くらいは遅れるよ。今ごろは、衣装替えか、髪を黒く
 しようかもね」という声が待っている間に聞こえてきました。
こどもたちの入場が始まると、少し目立つ生徒はいますが、それほど
ではありません。
それよりも、二人を探すのが先です。クラスは名簿で分っていました。
背が高い生徒、と、見当を。それが結構みんな大きいっちゃね~。
一人はメガネですぐ分ったのですが、あとの一人は、式のあと、全員
合唱で、舞台に上がってからです。みつけてよかった~。


髪を拭いている生徒が

 式の途中で頭を白いもので拭いている生徒がいました。
 よく見ていると、その白いものがだんだん黒くなっています。
 頭はわずかではありますが、茶色になっていきました。
 それを見て思わず涙が落ちそうになったのです。

 私たちが待っている間、その生徒が、どれだけ屈辱的なことをされた
 のか、自分で染めたにしても、そこまでいくあいだ、どんな会話が
 交わされたのか、頭越しではなかったか、いろいろ想像すると不覚
 にも、涙が、と、なったわけです。

 
私の中学時代は

中学時代の私

 漁師町です。浜の気質というのか、女性も結構強く、元気な学校
 でした。(私が思っていただけかもしれませんが)
 卒業式に出れず、欠席?のハガキだけが来た友人もいました。

 当時の先生の話によると、離島に赴任した先生が、私たちの学校に
 きて2年くらいいて、それから希望校に。
 だから、腰をつけてしっかりやる教員が、少ないのだ、というような
 ことを。

 今は、受験受験、勉強勉強で、ついていけなくて当たり前、という
 えら~い人の考えやき、変わった格好ぐらいしてみたいよね。


娘たちの時代は

 スカートが長くなったり短くなったり、いろいろやったね。
 高校になって髪を染めたのもいたけど、今は、女性はほとんど染めて
 いるみたいやね。私は、害になる方が大、と思っとうきしてないけど。
 ある時、「黒にしてください。しない時は、保護者の方にきていただ
 きます」と、学校から電話が。
 「私が行くことで済むなら、学校に行きます」と言うと、「それは
 困ります。黒にしてください」と、わけちゃわからんことを言われた
 けど、あれは結局どうなったのかな。今の事務所の隣にある薬局で、
 何か買ってきたような記憶も


人に迷惑かけないなら、茶髪もミニスカートもぞろびくスカートも
いいではないか、な。私はしないけどね。
そんなことより、こどもたち一人ひとりに、もっと楽しい学校生活を
保障してくれ、と、言いたいね。

目の前になが~いスカートの子がいれば、
 地面についたスカートで、家に上がらないで、とは言うかも。
ミニスカートの子がいれば、「挑発したら、襲われるかもよ?」と。
タバコを吸っている子がいたら、「あなたのことはどうでもいいけど、
 生れてくる子が未熟児かもよ。保育所に来た未熟児は、親がみんな
 タバコを吸ってたよ」と言うかも(上妻で言ってしまった)。
髪を染めている子がいたら、「頭皮は吸収しやすいんだって。皮膚では
 何ともなくても、心臓や他の内臓に害になるかもよ」と言うかも。



卒業式に参加して、懐かしく歌い、あらためて決意を。

 こどもたちが、
   一人ひとり大切にされる社会を






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