国民主権が世界政治の主流に
一九一四年、第一次世界大戦がはじまった時、世界の大国で、共和国はアメリカとフランスだけでした。ロシアもドイツもオーストリア・ハンガリーも君主国です。勿論、日本も。いま世界にのこっている君主国は二十ちょっと。発達した資本主義国では主に北ヨーロッパの国々にのこっているだけです。
戦争の違法化
国連憲章の出だしは「われら連合国の人民は、われら一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」となっています。二度の世界大戦の「惨害」の一部を中学校の教科書から引用します。

国連憲章は、一九四五年六月にきまったものですが、そこにいきつくまでには、つぎのようなつみかさねがありました。
◎ 第一次世界大戦(一九一四年~一九一八年)
● 国際連盟成立(一九二〇年) ※アメリカ不参加
● パリ不戦条約=戦争放棄に関する条約
(一九二八年) ※アメリカ不参加
△ 満州事変(一九三一年) ※国際連盟が二本の
満州撤退案を採択。日本が国際連盟脱退。
△ 日支事変(一九三七年)
◎ 第二次世界大戦(一九三九年~一九四五年)
● 連合国国連憲章に調印(一九四五年六月)
● ポツダム宣言=日本降伏の条件(七月)
● 国際連合結成(一九四五年十月)
以上が、簡単に描いた20 世紀の戦争違法化の道程です。これに逆らって戦争をすすめた人たちがA級戦犯として、第二次世界大戦後、裁判にかけられたのです。
社会主義をめざす国が出現した
一九一七年、ロシアで、世界最初の社会主義をめざす国が生まれました。〝資本主義が世界全体を支配する唯一の体制〟 が崩れたのです。
しかし、ソ連は、レーニン死後、社会主義をめざす道からはずれ、社会主義を名乗りながら社会主義にあるまじきことばかりをくりかえし、世界の社会進歩の運動に大きな害をあたえました。一九九一年、ソ連共産党が解散したとき、日本共産党は、「もろ手をあげて歓迎すべき歴史的な出来事である」と声明を発表しました。「万歳!」と叫んだのです。
いま、中国、ベトナムなどは、市場経済を通じての社会主義への道を追求しています。非常に遅れた社会からの出発で大変な苦労をしていますが、世界の経済も政治も、ここを無視してはなりたたなくなっています。
世界のうつりかわりを人口で示すと次のとおりです。
一九一〇年代(レーニンの研究)
・世界の人口 十六億五千万人
帝国主義国 五億五千万人
半植民地(中国など) 三億五千万人
植民地・政治的従属国 七億五千万人
21世紀はじめ(不破分析)
・世界の総人口 六十二億人
発達した資本主義国 九億人
社会主義をめざす国 十四億人
アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカ 三十五億人
旧ソ連・東欧圏 四億人
世界で孤立しつつあるのはアメリカ
間違った道にはいってソ連は解体しましたが、それは、世界で資本主義が勝利した、とはなりませんでした。それは、日々の新聞やテレビが伝えてくれるだけでなく、私たちの生活のなかにいやというほどあらわれています。世界の国々の動きをみても、植民地はなくなったというのに、なお帝国主義的に世界に君臨しようとする国はアメリカだけです。
一例として、アメリカのイラク戦争に賛成した国はどのくらいか、地図でみてみましょう。地図の白いところです。名のとおった国では、イギリス・日本・オーストラリアしかありません。世界の多勢に逆らっているのはアメリカなんです。(日本政府は、「国際貢献、国際貢献」といいますが、その国際貢献は、このアメリカ貢献です。)

ソ連崩壊で世界は元気になった
東西二つの陣営の 〝冷戦〟 といわれていた頃は、いろいろ不満があっても「ソ連」「アメリカ」には、それぞれ文句が言えないといった状況がありました。しかし、いまはちがいます。ヨーロッパの大きな国でも、自分がこうと思ったらアメリカの言うことをききません。イラク戦争に反対したように。
アフリカや、イスラム諸国も元気になっています。ソ連にもアメリカにも遠慮しないでよいのですから。とくに、アメリカの内庭といわれ、その勢力圏だった中南米では、自主的な国づくりをめざす政府が続々と誕生しています。なかには、ベネズエラのように、新しい社会主義をめざす、といっている国もあります。
特筆すべきは、東南アジア友好協力条約(TAC)参加国のひろがりです。もともと東南アジア諸国連合は、アメリカのベトナム侵略戦争支持のためにつくられた組織でしたが、ベトナム戦争終結後、ベトナムも参加して平和の経済協力組織に発展しました。それが、ソ連崩壊後の世界情勢の発展のなかで、国連憲章を守り、紛争があっても戦争はしない約束の組織として発展し、世界人口の57 パーセント、二十四カ国になっています。

日本共産党が万歳をしたそのとおりに、ソ連崩壊で世界は活性化しました。新しい歴史の扉をあけて21世紀に足を踏み出しました。
そのときに日本共産党は、21世紀にふさわしい日本はどうあるべきか、それはどうしてつくるか、を皆さんにあらためて訴えたのです。
綱領は、歴史的にみて、どういう時期にきめられたか―終わり
一九一四年、第一次世界大戦がはじまった時、世界の大国で、共和国はアメリカとフランスだけでした。ロシアもドイツもオーストリア・ハンガリーも君主国です。勿論、日本も。いま世界にのこっている君主国は二十ちょっと。発達した資本主義国では主に北ヨーロッパの国々にのこっているだけです。
戦争の違法化
国連憲章の出だしは「われら連合国の人民は、われら一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い」となっています。二度の世界大戦の「惨害」の一部を中学校の教科書から引用します。

国連憲章は、一九四五年六月にきまったものですが、そこにいきつくまでには、つぎのようなつみかさねがありました。
◎ 第一次世界大戦(一九一四年~一九一八年)
● 国際連盟成立(一九二〇年) ※アメリカ不参加
● パリ不戦条約=戦争放棄に関する条約
(一九二八年) ※アメリカ不参加
△ 満州事変(一九三一年) ※国際連盟が二本の
満州撤退案を採択。日本が国際連盟脱退。
△ 日支事変(一九三七年)
◎ 第二次世界大戦(一九三九年~一九四五年)
● 連合国国連憲章に調印(一九四五年六月)
● ポツダム宣言=日本降伏の条件(七月)
● 国際連合結成(一九四五年十月)
以上が、簡単に描いた20 世紀の戦争違法化の道程です。これに逆らって戦争をすすめた人たちがA級戦犯として、第二次世界大戦後、裁判にかけられたのです。
社会主義をめざす国が出現した
一九一七年、ロシアで、世界最初の社会主義をめざす国が生まれました。〝資本主義が世界全体を支配する唯一の体制〟 が崩れたのです。
しかし、ソ連は、レーニン死後、社会主義をめざす道からはずれ、社会主義を名乗りながら社会主義にあるまじきことばかりをくりかえし、世界の社会進歩の運動に大きな害をあたえました。一九九一年、ソ連共産党が解散したとき、日本共産党は、「もろ手をあげて歓迎すべき歴史的な出来事である」と声明を発表しました。「万歳!」と叫んだのです。
いま、中国、ベトナムなどは、市場経済を通じての社会主義への道を追求しています。非常に遅れた社会からの出発で大変な苦労をしていますが、世界の経済も政治も、ここを無視してはなりたたなくなっています。
世界のうつりかわりを人口で示すと次のとおりです。
一九一〇年代(レーニンの研究)
・世界の人口 十六億五千万人
帝国主義国 五億五千万人
半植民地(中国など) 三億五千万人
植民地・政治的従属国 七億五千万人
21世紀はじめ(不破分析)
・世界の総人口 六十二億人
発達した資本主義国 九億人
社会主義をめざす国 十四億人
アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカ 三十五億人
旧ソ連・東欧圏 四億人
世界で孤立しつつあるのはアメリカ
間違った道にはいってソ連は解体しましたが、それは、世界で資本主義が勝利した、とはなりませんでした。それは、日々の新聞やテレビが伝えてくれるだけでなく、私たちの生活のなかにいやというほどあらわれています。世界の国々の動きをみても、植民地はなくなったというのに、なお帝国主義的に世界に君臨しようとする国はアメリカだけです。
一例として、アメリカのイラク戦争に賛成した国はどのくらいか、地図でみてみましょう。地図の白いところです。名のとおった国では、イギリス・日本・オーストラリアしかありません。世界の多勢に逆らっているのはアメリカなんです。(日本政府は、「国際貢献、国際貢献」といいますが、その国際貢献は、このアメリカ貢献です。)

ソ連崩壊で世界は元気になった
東西二つの陣営の 〝冷戦〟 といわれていた頃は、いろいろ不満があっても「ソ連」「アメリカ」には、それぞれ文句が言えないといった状況がありました。しかし、いまはちがいます。ヨーロッパの大きな国でも、自分がこうと思ったらアメリカの言うことをききません。イラク戦争に反対したように。
アフリカや、イスラム諸国も元気になっています。ソ連にもアメリカにも遠慮しないでよいのですから。とくに、アメリカの内庭といわれ、その勢力圏だった中南米では、自主的な国づくりをめざす政府が続々と誕生しています。なかには、ベネズエラのように、新しい社会主義をめざす、といっている国もあります。
特筆すべきは、東南アジア友好協力条約(TAC)参加国のひろがりです。もともと東南アジア諸国連合は、アメリカのベトナム侵略戦争支持のためにつくられた組織でしたが、ベトナム戦争終結後、ベトナムも参加して平和の経済協力組織に発展しました。それが、ソ連崩壊後の世界情勢の発展のなかで、国連憲章を守り、紛争があっても戦争はしない約束の組織として発展し、世界人口の57 パーセント、二十四カ国になっています。

日本共産党が万歳をしたそのとおりに、ソ連崩壊で世界は活性化しました。新しい歴史の扉をあけて21世紀に足を踏み出しました。
そのときに日本共産党は、21世紀にふさわしい日本はどうあるべきか、それはどうしてつくるか、を皆さんにあらためて訴えたのです。
綱領は、歴史的にみて、どういう時期にきめられたか―終わり