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懇話会主催の後期高齢者医療制度説明会チラシ

 「説明会」って、市の説明?
 この怒りは、どげしたらいいと?
 「説明会」では、みんなの気持ちに合わず、チラシが手直しされました。
 会場は、300名入ります。ぜひ、おいでください。

手直しされました


HPの予定表の「説明会」も書き直ししてもらわないかんばい。
管理人さん、お願いしま~す


父の遺言④の1

戦前と戦後の日本
     ――体験的に


 私は一九二四年生まれです。日本共産党と二つ違いです。日本共産党にはいって六二年目になりました。そこで、ここ第一章・第二章では、私の体験を中心に話をすすめさせていただきます。

 1、天皇と戦争

 私が一番幼い時の記憶は、父の肩車です。あとで知ったことから考えると、一九二八年(昭和三年)の御大典(昭和天皇の即位式)の祝に、村の鎮守様にいった時のことだと思います。十二人弟妹の長男である私は、父と二人だけの思い出はあまりありませんが、最後の二人だけの記憶は、私が入隊する前、大分の宇佐八幡宮に参り、別府の地獄巡りをしたことです。二回とも、天皇・戦争に関係しています。何か因縁めいたことを感じます。
 小学校二年生の時、満州事変がおきました。本格的な中国侵略─十五年戦争のはじまりです。日の丸の小旗をもって海老津の駅まで通過する出兵列車を見送りにいったこともあります。その頃、叩きこまれたのは「非常時」「満蒙は生命線」です。愛国心が吹き込まれ、〝愛国飛行機〟 の献納がもてはやされました。
 小学校では四大節という式典がありました。元日、紀元節、天長節、明治節です。(これは名前をかえて祝日としてのこっています)。
大君(天皇)を称える歌をうたい、ご真影(天皇、皇后の写真)をバックに校長先生がもったいぶった節まわしで読む教育勅語を低頭して聞いていました。小学校五年生くらいになると教育勅語は暗記していました。
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 つまり、一生懸命勉強し、教養をつみ、いざという時は天皇のために死ぬ覚悟で働けよ、という教育です。修身の教科書には、〝死んでもラッパを口からはなしませんでした〟 というキグチ・コヘイの話がのっていました。

    ※ 三二年テーゼと西田信春

     日本共産党の綱領に「三二年テーゼ」というもの
    があります。満州事変がはじまった翌年に発表
    された戦前最後の綱領です。この綱領は、日本
    の中国侵略が、アメリカとの軍事的衝突にすす
    む危険をもつと警告し、侵略は「勤労者にたい
    する前代未聞の専横と暴力支配との体制を維
    持し強固にし、農村における賦役支配を強化し、
    大衆の生活水準をなおこれ以上に低下」させる
    政策とむすびついている、として、強大な党をつ
    くろう、とよびかけています。この三二年テーゼ
    にもとづいて、党九州地方委員会の委員長とし
    て活動していた西田信春さんは、一九三八年二
    月の大弾圧で逮捕され、福岡署の非人道的取調
    べ(しばって二階から階段をころがし、引上げては
    またころがす、をくりかえす)で殺されました。
    亡骸は人知れず福岡市の無縁墓地に葬られ、
    その事実は戦後二〇年もたって判明しました。
    (西田さんの死亡は、1933年2月11日
    昼、捕まえられて、晩には死亡。父、会議で、年を訂正
)

    ※ 治安維持法

     共産党の弾圧を主目的につくられた法律で、そ
    の実行の第一線にたったのが特高警察です。検挙
    者・起訴者数だけでその被害の大きさをあらわす
    ことはできませんが、参考までに一つの数字をあげ
    ておきます。

治安維持法検挙・起訴者数


 私は、せめて中学校卒業くらいの学力資格を得たいと思い、専検(いまの大検みたいなもの)の受験を試みました。その試験科目の「公民」では、「国体の本義」の学習が必修の条件でした。「国体の本義」とは「大日本帝国は万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給う。これ、我が萬古不易の国体である」にはじまる六万五千字に及ぶ文部省発行の本です。これで、神話に現人神[あらひとがみ]の国、皇国とその臣民の道をいやおうなしに叩きこまれました。
 軍隊は海軍です。入隊する前、軍隊での覚えがいいようにと軍人勅諭を暗記しました。長文ですが、その真髄をあらわしていると思うところを紹介します。前文に、朕[ちん]は汝[なんじ]等軍人の大元帥なるぞ、とあり第一の項目は、軍人は忠節を尽すを本分とすべし、です。
「義は山岳[やま]よりも重く、死は鴻毛[こうもう]より軽しと覚悟せよ、其[その]操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ(天皇のためには命は鳥の毛よりも軽いと思え、捕虜[ほりょ]になるくらいなら死ね)とあります。第二項には、軍人は礼儀を正しくすべし、とあり、「上官の命を承ることは実は直ちに朕が命を承る義なりと心得よ」です。(これで、いまでいう隊内リンチに耐えねばなりませんでした)
 一九四四年九月、私は、「七度生まれかわって皇国に報います」と勇ましいこといって佐世保相浦の海兵隊に入隊しました。八紘一宇を信じて。
 この頃のまとめ的に 〝大日本帝国憲法〟 の一部を抜粋・紹介します。

 第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。
 第三条  天皇は神聖にして侵すべからず。
 第四条  天皇は国の元首にして統治権を総攬し、此
        の憲法の条規に依り之を行う。
 第十一条 天皇は陸海軍を統治す。
 第十二条 天皇は戦を宣し、和を請し及諸般の条約を締結す。


綱領第一章 戦前の日本社会と日本共産党


 (一)日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。

 当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。

 党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。

 (二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。

 党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。

 党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。

 党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。

 党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。

 党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。

 (三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。

 帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。

 他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。

 侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲で多くの地方が焦土となった。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。

 ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。



                                      つづく


4月20日過ぎると田植えが

 我が家の田は、まだ、草ぼうぼうです。
 桜川の工事で、畦道に入れず、耕運機が通れないのです。
 せっかくきれいな田んぼになったってゆうのにね~

 ホントは、3月で終る予定が、水道管が入っているために延びました。
 草ぼうぼうの田を見ると、何もしない私さえ、あせってきます。
 よそでは田植えが着々と。
 日本農業を考えると、ますます「草ぼうぼう」にあせりを
 今年、田植えはできるのかしら

4月下旬には済んでいました    畦町では、代掻き中


うちは草ぼうぼう    桜川は工事中


ラジオから四川省の地震のニュースが

 天災・地球温暖化・飢餓。全地球人が一丸となって生き抜く時。
 なのに、自公は何を考えよっちゃろうかね
 金持っとったっちゃ、地震はよけてとおらんばい。




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