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父の遺言④の2

2、戦前・戦中のくらし

 私の家は農家でした。水田を約一町(一ヘクタール)工作していました。半分が小作地でした。小作地は、収穫があろうがなかろうが面積に応じて年貢を納めなければなりません。気候不順・病害虫に出合うと収穫の大半を納めなければならぬ、ということにもなります。現金収入を得るために、母は春になると山野にわらびやつわを採りに行き、芦屋や遠賀川まで売りにでかけました。家を出るのが朝の三時、小学生の私がリヤカーの後押しについていきます。父は、田んぼ仕事のかたわら、炭を焼いたり、竹の切り出しをしたり、少しばかりの傾斜地を開墾して枇杷[びわ]を植えたりして、田んぼ以外の現金収入をはかりました。
 農家なのに、秋の取入れの前になると食べる米がなくなりました。麦の方が多いご飯、里芋がいっぱい入ったおじや、それでも足りなくて、米や麦を借りなければなりませんでした。私の家では子供が多かったから特別に苦しかったということかもしれませんが、日本全国の小作百姓は、どこでも同じだったのでしょう。東北方面で娘の身売りをしたのもこの頃ですし、新聞などで欠食児童という言葉をよく見ました。貧しさは農村だけではなく、都会でもそうでした。雑誌「家の光」で、労働者の簡易宿泊所では、一日に一本、一銭で「バット」を買って三つに切って吸っている、という記事を読んだことがあります。失業者があふれ、「大学は出たけれど」という言葉がはやっていた記憶があります。

    ※ 脇坂栄さんのこと

   もうなくなりましたが、脇坂栄さんという人がいました。
   福岡の西、早良郡壱岐村の人です。
   さきに紹介した西田信春さんたちの弾圧の時に逮捕されました。
   法廷で裁判官が、脇坂さんに「声が大きい」と注意したら、
   「世界中にとどく声がほしいんだ」と怒鳴りかえして、ほかの人より
   二年刑が長くなった、という逸話の持主です。
   その脇坂さんを招いて福間で学習会をしたことがあります。
   脇坂さんは、壱岐村はもちろん近隣の小作百姓を結集して
   地主と「小作料をまけろ」のたたかいをして、〝永代三割〟 を
   勝ちとった、と淡淡と話しました。
   非合法状態にありながら、果敢に活動した若い共産党員の姿を想像
   しながら、当時のわが家の生活と父の苦労を重ねあわせて、
   すごい共産党の姿に感無量になったことがあります。

 父は、とうとう百姓をあきらめて家屋敷を売り払い、八幡に出、戸畑牧山の旭ガラスの下請工場の職工になりました。それより前、私は、八幡製鉄に入社、工場内を走る汽車の釜焚になっていました。ところが、世の中は貧乏人には間が悪くできているもので、八幡にでてきてから戦局は一段とすすみ、いよいよ太平洋戦争へと八紘一宇が本格化しました。米はもちろん味噌、醤油、塩、さらにマッチまでが配給制になり、生活のスローガンも「ぜいたくは敵だ」から「ほしがりません勝までは」となりました。足りないのは物資だけでなく、人間もそうです。徴用令が出され、商売人も学生も軍需工場の労働者に動員され、朝鮮人が労働者として連行されてきました。私の職場にも若い朝鮮人労働者がつれてこられましたが、その一人、朴という青年は、妻子があるのに田んぼから直接トラックに乗せられて港につれていかれた、と語っていました。私は、くる日もくる日も残業、残業で一ヶ月に「五十日」以上も働くこともあり、家の主収入源でした。それでも夜の食事は、どんぶりに茹でた馬鈴薯が三個、という生活でした。兵隊にいく時の心残りは、あとのわが家の生活はどうなるだろう、だけでした。

   ※ 八紘一宇─神武天皇の神話にもとづいてつくられた造語。
            全世界を天皇の威光のもとに一つにしようという意。
            侵略のスローガン。


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私は、あちこちの会議でお顔を見るぐらいしかありませんでしたが、あの笑顔にそんな過去があったなんてわかりませんよね~
2008/05/17 22:19 URL by ひとみ [ 編集] Pagetop△
脇坂さんのこと。30年前、私が結婚して最初に住んだのは、できたての壱岐団地でした。周りは田んぼ。組合で遅くなると、つれあいが遠いバス停まで、自転車で迎えに来てくれていました。お店もなく不便でしたが、自然がいっぱいで、四季折々を楽しんで4年ほど住みました。

支部会議は、我が家だったり、今那珂川町議の糸井さん宅だったり。そこに長老の脇坂さんがおられました。
そんなに歴史的なかたとは知らなくて、仲良くしていただきました。転居を繰り返し、連絡することもなく過ぎました。

会議に中でお名前が出たことがあり、もっと色々うかがっておけばよかったと思ったことでした。
2008/05/14 23:50 URL by 嶽村 [ 編集] Pagetop△
ありがとうございます。












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