「とくほう・特報」とあわせてお読みください。日本軍のこと。「蟻の兵隊」




とりあえず、スポンサー消します!


ツイッターで、しんぶん赤旗記事、日本の中国侵略の歴史を。
ぜひ、これもいっしょに読んでほしいと、再再掲。

大津留さんの品川さんの記事を読んで、やっぱり、打つしかない!と。

私・ひとみは、「消費税をなくす会」に入っています。
「蟻の兵隊」の上映をブログで紹介していましたら、「消費税をなくす
全国の会
」の事務局の方から、メールをいただきました。

メール抜粋
 「蟻の兵隊」の上映もされることを松尾さんのホームページで。
 実は、映画にでてくる宮崎舜市参謀は、消費税をなくす全国の会
 常任世話人の増本さんの義父です。
 蟻の兵隊の完成を知って、11月にお亡くなりになりました。
 増本さんの奥さんが、「『蟻の兵隊』を見てくださるみなさまへ」と
 いうメッセージをなくす会にもよせてくださいました。
 ぜひ、松尾さんにも読んでいただけたらと思い、郵送させて、、。



「蟻の兵隊」を見て下さるみなさまへ
                   ’06.7.22

                     増 本 敏 子

  父(宮崎舜市)と山西残留兵士との関わりについて
                     
 映画「蟻の兵隊」のチラシを同封させて頂きます。
 この映画の中で、病院のベッドに寝たきりの父のところへ、主演の
奥村さんが挨拶に来られる場面があります。初対面の奥村さんに
「宮崎参謀!!初年兵の奥村でございます」と語りかけられ、ほとんど
植物状態の父が涙を流し大声で泣いたのです。
 映画では説明が省略されていますので、何故なのかわかりにくく
試写を見た人たちから質問を受けました。
 そこで娘の私から一言説明を加えさせて頂きます。(一言ではすまぬ
長い話なのですが・・・・・)

 父は昭和20年8月15日、37才のとき支那派遣軍作戦主任参謀
として南京で敗戦を迎えました。そしてひきつづき2年余り現地で敗戦
処理の仕事に携わったのです。中国に残っている兵士や民間人を一刻も
早く安全に帰国させることが主な任務でした。

 比較的順調に仕事が進む中で(中国人は寛容であったようです)、
山西省だけ帰国がすすまず、旧軍兵士や民間人が閻錫山の軍隊に
とりこまれていることが判明し、父はプロペラ機の機長と2人で山西省
に乗りこんだのでした。閻錫山(えんしゃくざん)という人はその地方
の王様のような存在で、蒋介石、毛沢東と並ぶ力を持っており、八路軍
が力を伸ばす中で日本旧軍を配下にして中国内戦を有利に運ぼうとして
いました。「協力するか、死刑か」と迫られて旧軍の幹部の人達は、
すっかり閻錫山の配下になってしまい、兵士たちに残留命令を出して
いたのです。


 こういう中で父は命がけで閻錫山に面会し、戦勝国アメリカや国民党
蒋介石の力を背にして交渉し、日本人を解放して帰国させる約束を
とりつけたのでした。事実、この後数萬人の兵士と民間人が無事帰国
できたのです。父は全員帰国できたものと思い込み、悲惨な戦争の中で
唯一自慢にできる快挙を成し遂げたと満足していたのです。
 
 ところが事実は違っていました。5%ほどの精鋭部隊が山奥に
かくされ、閻錫山の軍隊に組み込まれ、4年間も戦わされたのでした。
 戦死した人、今も行方不明の人、昭和24年毛沢東の勝利により捕虜
となって何年間も刑に服した人、この映画の「蟻と兵隊」が存在したの
です。
 敗戦を予見した閻錫山は台湾に逃げ、協力者だった日本旧軍の幹部を
早々と帰国させました。そして、この人たちが帰国後参議院の聴聞会で
「日本旧軍は、兵士たちに帰国せよとの命令を出している。一部の将校
と兵士が自分たちの意思で残留し、中国内戦に身を投じたのだ。彼等は
逃亡兵である」と証言したのです。
 そして日本政府は山西省残留兵士を逃亡兵と決めつけ、一切の援助
(恩給支給など)をしないことを決めたのです。
 現在も政府はこの姿勢を変えていません。

 福島県の部隊の生き残りの相楽圭二さんは、山西残留兵士の会を
作り、政府に陳情を重ねました。その姿を当時福島中央テレビが追って
いました。相楽さんは、旧軍の復員局の資料の中から、父の生々しい
証言を見つけ、父をたずねて来られました。
 敗戦から30年もたって、ようやく父はうかつにも自分が事実を
知らなかったことを知ったのです。

 「全員を帰国させたつもりがそうではなかった」
 父は自分の努力が中途半端だったことを恥じ、まんまとだまされた
ことに立腹し、全員を帰国させるために自分が作成した「残留解除・
帰国命令」が逆に「帰国できたのに、しなかった者が悪いのだ」という
形で利用されていることを知り、怒りにふるえていました。
 現地の兵士達に選択の自由などないことは、軍に身を置いた父には
明らかなのでした。
 こうして父は残留兵士の方々に協力し、厚生省にもかけ合ったりして
いましたが、全国各地の残留兵士の声を一つに集めるだけでも時間が
かかり、ようやくまとまるのは平成に入ってからで、すでに敗戦後40
年以上が過ぎていました。

 福島中央テレビが父のところに取材に来られたのは平成3年頃です。
 その後相楽さんが亡くなられ、父も平成8年に脳梗塞で倒れ、残留兵
の方々との交流もとだえておりました。今回、わずかの生存者の方々が
提起された「恩給不支給処分取消」を求める訴訟も敗訴し、話を聞き
つけた池谷監督が奥村さんを主人公に残留兵士の無念を映画に残そうと
がんばって下さいました。

 奥村さんが父に会いたいと言われているので、映画の1シーンに
させてほしい旨申し出がありましたとき、私は
「父の今の姿は誰にも見せたくないので、お見舞いも親族以外お断り
しています」と答えました。
 でも「何故 父はこんな姿で死にきれずベッドに身を横たえているの
だろう」と苦しい思いでいた私は、「もしかしたら、山西残留兵士の
ことが心残りで、何らかのお役に立つために命をながらえているのかも
しれない」と考え、協力させて頂くことに決めたのです。
 父が本当に奥村さんを理解できて泣いたとは思いませんが、何か
叫んでいることは事実でしょう。

 父の病院の院長先生は、「まだ科学では解明できないこともたくさん
ありますから、もしかすると理解できたのかもしれませんね」と言って
下さいました。
(長いお手紙ですので、改行させていただきました。色字も)

 
以上でお手紙は終わりですが、ぜひ、多くの方に事実を知っていただき
たいと思います。お名前は分っているのですが、全国の会の方に聞いて
公表OKだったら、それからお名前を紹介したいと思います。

これを打つ前に、もしかしたら、どなたかが紹介してあるかな、と
検索してみました。わかりませんでした。が、宮崎さんのお名前が
タカマサのきまぐれ時評」というのにでてきました。よろしければ、
そちらも参考にしてください。

 


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ありがとうございます。












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