私は中3
選挙は春。修学旅行も春でした。
九州一周を終えて家に着くと びっくりしました。
私が旅行に行っている間に、選挙本番も本番、告示日が過ぎていた
のです。
半坪もない玄関は靴であふれ、勝手口にまわると、そこも同じ状態。
お縁の方に行くと「こっちこっち」と、誰かが手招きしてくれました。
中はもちろん、くつろげる場所など無かったように思います。
6畳・4畳半と3畳の板の間、という間取りの町営住宅でした。
高校はどうする?
当時の我が家では「公立はいいが、私立はダメ。公立に落ちたら、
就職」というのが、あたりまえになっていました。
父の労金の給与は、経験年数を加えられ、上がったばかりでした。
貧乏な家庭の12人のこどもたちの長男として生まれた父が、
「労金を辞める」と言った時は、祖父まで でてきて、大騒動でした。
「奨学金」を受けたら?
気難しい先生もおられましたが、「ほら、1万円札よ」と、職員室で
見せてくれた先生もいました。
その先生か、隣に座っていた先生か、はっきりとは覚えていませんが
奨学金の事を教えてくれました。
無事、高校に行けました
奨学金の試験にもとおり、公立にも合格し、無事、入学。
奨学金では、校納金・定期代の他に、たまには、素うどんも食べる
ことができました。
これについては、ま~だいっぱい書きたいことがあるばって、おわり。
選挙は春。修学旅行も春でした。
九州一周を終えて家に着くと びっくりしました。
私が旅行に行っている間に、選挙本番も本番、告示日が過ぎていた
のです。
半坪もない玄関は靴であふれ、勝手口にまわると、そこも同じ状態。
お縁の方に行くと「こっちこっち」と、誰かが手招きしてくれました。
中はもちろん、くつろげる場所など無かったように思います。
6畳・4畳半と3畳の板の間、という間取りの町営住宅でした。
高校はどうする?
当時の我が家では「公立はいいが、私立はダメ。公立に落ちたら、
就職」というのが、あたりまえになっていました。
父の労金の給与は、経験年数を加えられ、上がったばかりでした。
貧乏な家庭の12人のこどもたちの長男として生まれた父が、
「労金を辞める」と言った時は、祖父まで でてきて、大騒動でした。
「奨学金」を受けたら?
気難しい先生もおられましたが、「ほら、1万円札よ」と、職員室で
見せてくれた先生もいました。
その先生か、隣に座っていた先生か、はっきりとは覚えていませんが
奨学金の事を教えてくれました。
無事、高校に行けました
奨学金の試験にもとおり、公立にも合格し、無事、入学。
奨学金では、校納金・定期代の他に、たまには、素うどんも食べる
ことができました。
これについては、ま~だいっぱい書きたいことがあるばって、おわり。
ありがとうございます。