私の家は、お客さんがいっぱい。幼少・少女時代
家は狭く、夜中まで人が。
学校帰りに福間駅に行って、「アカハタ」を受け取り、配達。
当時、「アカハタ」は、東京から、列車で運ばれていました。
チラシに父が載せている文を紹介します。
これを読んだ時、思わず涙が。
最近の父
父の言葉より、幼少編
ひとみが生まれたのは、終戦直後の食糧難の時代でした。
私が、ひとみにお菓子を買ってやった記憶は、あとにも先にも一回
だけ。キャラメルを買ったことがあるだけです。
いつも、土日のたびに母親が米の買出し(いわゆる闇米の仲買)に
行くのに、3歳のころからついていっていました。
そういう育ちですから、物持ちがいいというか、物を捨てきらない
性格です。あるとき、人からもらったお菓子を引き出しの奥にしまい
こんで、忘れてしまい、何年もしてから、干からびて出てきたという
エピソードもありました。
私は、若いころから党の専従活動が仕事でしたから、我が家には
いろいろな人が出入りしていました。我が家にしばらく逗留すること
も よくありました。親が忙しかったですから、保育園の送り迎えも、
その人たちに頼むこともありました。
ひとみは、そういうみんなから、子守をしてもらって育ったのです。
父の言葉より、少女編
八幡から久留米へ、そして福間に居を構えたのは、あの子が小学3年
生のときからです。
そのころから「赤旗」新聞の配達を手伝ってくれていましたが、
田舎の寂しい道よりも私から怒られる方が怖かったようです。
母・妹と一緒に(ン十年前)
父の言葉より、母親編
その反動なのか、ひとみの子育てを見ていると、親からの押し付けは
一切しない。これは徹底しています。「自然にしておけば育つんだ」
という考えのようです。
父・母の願い
松尾家に嫁いで、お義母さんには慕われているようです。
実の親の私たちのことを、世話する時間もないほど忙しいようです。
私たち夫婦も年をとりましたので、時には顔を見せてほしいな、と
思うこともあります。
しかし、私たちがそう教えてきた道をすすんでいるから、忙しいので
あって、文句も言えないな、と自分に言い聞かせているところです。
いろいろ苦労もしているようですが、それを糧にして、人間の幅を
広げていってほしい。元気に前向きに、人に勇気を与えられる人間に
成長していってほしいというのが親からの願いです。
学校以外は、勉強する時間がとれませんでした
授業中は、一生懸命聞きました。
一人でこつこつ学習する、という習慣がついていません。
中学までは、それでもいいが
高校は、予習復習をしないと、ついていけませんでした。
でも、習慣がついていないからダメ。
席次は、どんどん下がっていきました。
今思うと、ゾッとする
40点以下は、留年。というのを聞きました。
当時、物理などは、一桁の点でした。
でも、私たちが、高校の頃は、平均の三分の二あればよかったので、
落第することはありませんでした。
高校を卒業してからも、20年ぐらいは、教科書が真っ白、という
夢を、よくみました。
自分の経験を、子育てに活かす
自分から、勉強しよう!と、ならないと、だめなのよね~。
だから、やる気がでるのを、待っとうとよ。
息子やらは、中学の時、私が学校に行くと、先生が言うとよ。
「松尾さん、せめて、アルファベットくらいは、覚えさせて下さい」
と。
息子
掛け算もなかなか覚えんやった。高校ぐらいの時、試しに聞いて
みたら、覚えとったばい。
おとといは、26歳の誕生日やったばって、昨年ぐらいから、
やる気になっとうみたいやもんね。
私は、学習の習慣がついとらんばって、こどもたちは、私よりは
いいみたいよ。
私も、負けんごとせなね。
★ 関連記事 ★
[ ]の中の説明、一般質問原稿より(06/11/26)
家は狭く、夜中まで人が。
学校帰りに福間駅に行って、「アカハタ」を受け取り、配達。
当時、「アカハタ」は、東京から、列車で運ばれていました。
チラシに父が載せている文を紹介します。
これを読んだ時、思わず涙が。

父の言葉より、幼少編

ひとみが生まれたのは、終戦直後の食糧難の時代でした。
私が、ひとみにお菓子を買ってやった記憶は、あとにも先にも一回
だけ。キャラメルを買ったことがあるだけです。
いつも、土日のたびに母親が米の買出し(いわゆる闇米の仲買)に
行くのに、3歳のころからついていっていました。
そういう育ちですから、物持ちがいいというか、物を捨てきらない
性格です。あるとき、人からもらったお菓子を引き出しの奥にしまい
こんで、忘れてしまい、何年もしてから、干からびて出てきたという
エピソードもありました。
私は、若いころから党の専従活動が仕事でしたから、我が家には
いろいろな人が出入りしていました。我が家にしばらく逗留すること
も よくありました。親が忙しかったですから、保育園の送り迎えも、
その人たちに頼むこともありました。
ひとみは、そういうみんなから、子守をしてもらって育ったのです。
父の言葉より、少女編

八幡から久留米へ、そして福間に居を構えたのは、あの子が小学3年
生のときからです。
そのころから「赤旗」新聞の配達を手伝ってくれていましたが、
田舎の寂しい道よりも私から怒られる方が怖かったようです。

父の言葉より、母親編
その反動なのか、ひとみの子育てを見ていると、親からの押し付けは
一切しない。これは徹底しています。「自然にしておけば育つんだ」
という考えのようです。
父・母の願い
松尾家に嫁いで、お義母さんには慕われているようです。
実の親の私たちのことを、世話する時間もないほど忙しいようです。
私たち夫婦も年をとりましたので、時には顔を見せてほしいな、と
思うこともあります。
しかし、私たちがそう教えてきた道をすすんでいるから、忙しいので
あって、文句も言えないな、と自分に言い聞かせているところです。
いろいろ苦労もしているようですが、それを糧にして、人間の幅を
広げていってほしい。元気に前向きに、人に勇気を与えられる人間に
成長していってほしいというのが親からの願いです。
学校以外は、勉強する時間がとれませんでした
授業中は、一生懸命聞きました。
一人でこつこつ学習する、という習慣がついていません。
中学までは、それでもいいが
高校は、予習復習をしないと、ついていけませんでした。
でも、習慣がついていないからダメ。
席次は、どんどん下がっていきました。
今思うと、ゾッとする
40点以下は、留年。というのを聞きました。
当時、物理などは、一桁の点でした。
でも、私たちが、高校の頃は、平均の三分の二あればよかったので、
落第することはありませんでした。
高校を卒業してからも、20年ぐらいは、教科書が真っ白、という
夢を、よくみました。
自分の経験を、子育てに活かす
自分から、勉強しよう!と、ならないと、だめなのよね~。
だから、やる気がでるのを、待っとうとよ。
息子やらは、中学の時、私が学校に行くと、先生が言うとよ。
「松尾さん、せめて、アルファベットくらいは、覚えさせて下さい」
と。
息子
掛け算もなかなか覚えんやった。高校ぐらいの時、試しに聞いて
みたら、覚えとったばい。
おとといは、26歳の誕生日やったばって、昨年ぐらいから、
やる気になっとうみたいやもんね。
私は、学習の習慣がついとらんばって、こどもたちは、私よりは
いいみたいよ。
私も、負けんごとせなね。
★ 関連記事 ★
[ ]の中の説明、一般質問原稿より(06/11/26)
一つの数式を解くのでも、悩みながらでも楽しいし、分ると、達成感みたいなのが。
でも、成績で順番をつけられたり、毎日毎日日記を書かされ、みんなの前で読まれる、となると、好きなものが、だんだん、成績を上げるためにしているようで、、、、、。
今考えると、それでもがむしゃらに、点取り虫になって、勉強していた方が、今の生活には役にたっていたのかな、と、チラッと思うときもあります。が、今となっては、この年で始めるしかない!と、思っています。
コメント、ありがとうございます。胸いっぱいです。
でも、成績で順番をつけられたり、毎日毎日日記を書かされ、みんなの前で読まれる、となると、好きなものが、だんだん、成績を上げるためにしているようで、、、、、。
今考えると、それでもがむしゃらに、点取り虫になって、勉強していた方が、今の生活には役にたっていたのかな、と、チラッと思うときもあります。が、今となっては、この年で始めるしかない!と、思っています。
コメント、ありがとうございます。胸いっぱいです。
2006/12/03 19:30 URL by ひとみ
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ひとみちゃん、
いつもコメント欄にメッセージありがとうございます。
とても暖かい家庭で育って、暖かい家庭を築かれているようで羨ましいです。
日本では、勉強というと記憶力だけが勝負のような受験中心の教育をしているので、勉強嫌いな子供が多いのではないかと思います。勉強はもっと面白いものなのに、とても残念でたまりません。
いつもコメント欄にメッセージありがとうございます。
とても暖かい家庭で育って、暖かい家庭を築かれているようで羨ましいです。
日本では、勉強というと記憶力だけが勝負のような受験中心の教育をしているので、勉強嫌いな子供が多いのではないかと思います。勉強はもっと面白いものなのに、とても残念でたまりません。
ありがとうございます。